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胎内妙見大菩薩の由緒 [朝のおつとめ等]

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晴雲寺現筆頭総代 角田仁郎家は、江戸時代 田安領の小黒坂村の名主を務めていた家柄であった。仁郎筆頭総代の慈父仁(まさし)氏から、「胎内妙見大菩薩」の由緒について聞いたことです。
妙見さまは 天明年間の頃 上図の「六十六部」略して「六部」といわれた、諸国の社寺等を遍歴する行脚僧(あんぎゃそう).(六十六部の図と説明文は広辞苑参照)が、ある日小黒坂村の角田家を訪れた。
角田家の厚遇に対して、感謝の言葉を述べ長い間逗留させていただいお礼として 厨子の中から仏像を出し「これは能勢妙見の分身で 妙見大菩薩」です。どうかご当家で大切に御祀りして戴きたいと懇願し角田家を辞していった。
暫くの間 角田家で懇ろに「妙見様」のご給仕を続けていたが、角田家では多くの人々にお参りをしていただきたく思い、何人かの親戚縁者に意中を吐露し協力を求めた。その結果 間口2間・奥行3間の堂宇を建立し、「国家安穏」を祈念するための星祭り祭典の基盤を固めるに至った。
現在 新しく建築された妙見堂に安置してある「北辰妙見大菩薩」の胎内に安置されているため「胎内仏」と呼称されている所以である。

今 お厨子の中に安置されている「北辰妙見大菩薩」は、文久2年(1862年)霜月に、仏師「木村重信」の作であり、納主は篤信の角田三郎・宇佐美太兵衛の両名であった。
制作年月日、仏師、納主等が明らかになったのは、平成になってから破損が酷くなったので 甲府市在住の加藤仏師に解体修復をお願いした際に判明した。
修復の結果、お厨子・妙見さまも写真のように立派に復元できたことを住職・檀信徒一同
感動し喜びを分かち合った。


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