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身延日布上人の額 [朝のおつとめ等]

身延日布上人の額
これは 新本堂の向拝(ごはい)に掲げてある、身延第81世法主 杉田日布上人直筆の額であります。昭和6年に 角田貞雄元筆頭総代の慈父愛照翁発案により、3人の姉 深沢きん様 三枝くに様 木造行乃様、それに
4人の総代様のご協力により「山額」寄進の浄行が成し遂げられました。平成18年10月26日の本堂落慶に併せて、仏師による破損箇所の修理等を行い 見事な額に戻りました。晴雲寺の宝物として末永く保存していきたいと思います。


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星祭り祭典 [朝のおつとめ等]

 
 星祭り祭典

 万灯に引かれて お参りしてみませんか 境川の妙見さんへ
                           山梨県笛吹市境川町小黒坂132-1
                             妙見山 晴雲寺 電話055-266-2176

 今年もこの日だけ 妙見さまがお参りできます この日に願をかけると すばらしい新年が迎えられます

(1)日時 平成23年12月21日(水曜日)
  1、水 行 本堂西側 午後11時20分~30分

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(2)日時 平成23年12月22日(木曜日) 冬至

1、妙見さん大祭法要 本堂 午前0時 お題目講 特別祈願
 2、万灯行列 仁王堂 午前10時15分出発~
   晴雲寺午前10時45分着
   午前10時45分~50分:万灯奉納
                   (八代町米倉妙昌寺の万灯講中)
 3、妙見さん大祭法要 本堂
   午前11時~12時 特別祈祷
 4、妙見さん大祭法要 本堂
   午後2時~3時 特別祈祷

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産経新聞 晴雲寺の星祭り [朝のおつとめ等]

一年で夜が一番長い冬至の日の午前零時から、境川村小黒坂の晴雲寺で花火を合図に「星祭り」が始まると、五穀豊穣や厄除け、開運などを祈願する参拝客がやってくる。
 祭りの起こりを地区民に聞いてみると、18世紀後半、法華経を広めるためにこの地を訪れた京都の僧が民家に滞在した礼に「北辰妙見大菩薩」を置いていった。後にお堂「妙見堂」が建てられて、お参りをする人が増えたと伝えられる。
 寺の建設が県から認可されたのは明治15年。17年に寺が建立され、北辰妙見大菩薩が本堂に収められ、現代に伝わる祭りの形態ができあがったようだ。
 星祭りといわれるゆえんは、寺の境内から北斗七星と北極星がみえ、長寿富貴を授ける妙見大菩薩と北斗七星を一体とした祭りだからだ。現代のような光公害がなかっただろうから、さぞやロマンチツクな冬至を過ごしたにちがいない。
 祭りでは日蓮宗大本山法華経寺で百日間の修行を終えた僧が水行のあとに参拝客の体に触れ、仏の力を分け与える。参拝客は開運厄除のお札を頂き、一年間の仏のご加護が受けられるといわれている。
 昭和初期までは数千人の参拝客が訪れ、屋台も50台以上が出て、客に酒がふるまわれ、にぎわったそうだ。
 砂長義厚住職(71)は「祭りは午前零時スタートにこだわり、百年以上続く伝統を後世に継承していきたい」と話す。
 今年は21日午後11時と22日午前10時半に水行があり、冬至の22日午前零時と同11時、午後2時の3回法要が営まれる。・・・冬至に行われる晴雲寺の「星祭り」は冬の風物詩として定着している。・・・           (問い合わせは同寺)

胎内妙見大菩薩の由緒 [朝のおつとめ等]

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晴雲寺現筆頭総代 角田仁郎家は、江戸時代 田安領の小黒坂村の名主を務めていた家柄であった。仁郎筆頭総代の慈父仁(まさし)氏から、「胎内妙見大菩薩」の由緒について聞いたことです。
妙見さまは 天明年間の頃 上図の「六十六部」略して「六部」といわれた、諸国の社寺等を遍歴する行脚僧(あんぎゃそう).(六十六部の図と説明文は広辞苑参照)が、ある日小黒坂村の角田家を訪れた。
角田家の厚遇に対して、感謝の言葉を述べ長い間逗留させていただいお礼として 厨子の中から仏像を出し「これは能勢妙見の分身で 妙見大菩薩」です。どうかご当家で大切に御祀りして戴きたいと懇願し角田家を辞していった。
暫くの間 角田家で懇ろに「妙見様」のご給仕を続けていたが、角田家では多くの人々にお参りをしていただきたく思い、何人かの親戚縁者に意中を吐露し協力を求めた。その結果 間口2間・奥行3間の堂宇を建立し、「国家安穏」を祈念するための星祭り祭典の基盤を固めるに至った。
現在 新しく建築された妙見堂に安置してある「北辰妙見大菩薩」の胎内に安置されているため「胎内仏」と呼称されている所以である。

今 お厨子の中に安置されている「北辰妙見大菩薩」は、文久2年(1862年)霜月に、仏師「木村重信」の作であり、納主は篤信の角田三郎・宇佐美太兵衛の両名であった。
制作年月日、仏師、納主等が明らかになったのは、平成になってから破損が酷くなったので 甲府市在住の加藤仏師に解体修復をお願いした際に判明した。
修復の結果、お厨子・妙見さまも写真のように立派に復元できたことを住職・檀信徒一同
感動し喜びを分かち合った。


戦前・戦後の星祭祭典 [朝のおつとめ等]

明治17年12月冬至、午前零時を期し祭典の行事を檀家一同にて行う。
各自の分担  
☆角田 三郎・・・・赤 飯  
☆角田代十郎・・・・清 酒
☆宇佐美源兵衛・・・花菓子(青い割竹の先を5つに割り、餅と菓子を交互に挿す)
☆角田捨吉・・・・・御供(鏡餅三重ね)
☆檀  家・・・・・自家生産の野菜類
☆薪は、全員で山に入り枯れ木を採る。
以上、無償寄付。参詣者に清酒、赤飯、野菜の煮たものを振舞いたる。

年々参詣者が増加、その数 数千名の多きにに達したる故, 清酒、赤飯、鏡餅、花菓子等は執行部にて有償購入。
村内各戸より集めた白米は餅に搗き、お供物として御札に添えたり。
清酒は厳選、最上の品 一斗樽30数樽(一斗=18立)、糯米・小豆約5俵(一俵60キログラム) 檀家各戸より持ち寄りたる野菜類の量もまた莫大なり。.
 以上の如くなれば、酒好きの信者は御酒(オミキ)の量も過ぎることしばしばあり、遠く圭林、藤垈、又は米倉方面迄 泥酔の末 厳寒・風雨・雪も知らぬげに道端に寝入り幸いの夢など見しものと思う。
 又 境内は勿論、門前往還には露天商50を越し、夜中より日没まで盛況を呈したり。斯くの如き祭典は、日本国広しといえども我が妙見山晴雲寺のほかこれなし。
 かかる行事も日支事変、続いて第2次世界大戦のため物資悉く不足し総て配給制度と相成り断絶。今日僅かにその影を止むる次第。
 晴雲寺本堂・・・間口7間、奥行7間。
  寄付者・・・宇佐美一寶・角田三郎・宇佐美源兵衛・角田代十郎・角田捨吉。
        檀徒一同。
晴雲寺庫裡・・・間口2間、奥行3間。
  寄付者・・・角田三郎・宇佐美源兵衛・宇佐美一寶。  (古文書による)

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妙見堂の由緒 [朝のおつとめ等]

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妙見堂は、古昔(こせき)宗祖日蓮大士錫(しゃく=錫杖の略。僧侶・修験者の持つ杖。頭部は
錫「すず」で作り、数個の鐶(かん=金属製の輪)をつける。錫杖の徳をたたえ、声明を歌唱しながら錫杖を振る。)を曳かれし旧跡につき村内(小黒坂村)醵合(きょごう=多くの人が金銭を出し合う)し、国家安穏のために堂宇を建設せり。時 信徒僅かに数名を出でざるも、天明の頃より(天明元年=1781年)逐日(ちくじつ=日がたつに従って)群集(ぐんしゅう=)むらがり集まること)し、自今(じこん=以後)信徒数百名に相成りたり。

妙見堂の規模等
1、 堂宇・・・間口2間、奥行3間。
2、 境内・・・54坪
                          (古文書に依る)
 ・天明年間に建設された堂宇は、木造で藁屋根でありました。ここに掲載された妙見堂の写真は、昭和26年頃 小山区の檀徒 深沢慎太郎総代が 堂宇の老朽化を深く愁嘆し、一念発起し深沢家先祖の追善菩提のために浄財を寄付されました。その結果 屋根はトタン葺き、壁はモルタル形式、入り口や窓は ガラス戸となり景観を一新しました。   

旧本堂 [朝のおつとめ等]

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妙見山晴雲寺建立の起因
角田三朗(角田仁 祖父)小黒坂村名主在職中、大飢饉到来し 村内は疲弊困憊(ひへいこんぱい) 全く想像に絶するの時、善悪是非の如何を問わず 代官の命令には絶対服従。服従 
せざれば遠島 若しくは打首の処刑の治世。たとえ天災地変なればとて更に容赦なし。村内殆ど無収穫、食事すらこと欠き 水を呑みて露命を継がむとも 一村の長たる名主に負わす責め、また非情苛酷なり。

故に角田三朗、私財一切を犠牲に供し 年貢の儀滞りなく相済したり。ために長期 角田
家家運傾き困窮其の極に達し、日頃家名再興に悩みつづけ 死の寸前までに至りしが 感ずる有り 永きに渉り信仰せる 日蓮宗総本山身延山七面堂に籠ること2年有余、一心に信仰し来たり。この間 身延山74世吉川日鑑猊下遇せらる。

角田三朗 日頃胸中に描き居りたる計画、即ち一寺建立の儀、熱心に言上御協力相求むたるに、法主猊下言下に之れを御受け被し下され かつて加えて一寺建立の暁開山として法主猊下御自ら御名を下さることも確約、仏像一式を御自ら授与せられたり。

角田三朗直ちに下山、帰宅致し 義兄宇佐美太兵衛に経過、計画を相談、ついで縁者宇佐美源兵衛 角田代十郎 角田捨吉と相計り着々準備にとりかかり率先檀家信徒を多数勧誘、又 寺財即ち土地其の他必要のもの一切を整え、明治14年3月26日待望の新寺建立てら号公称を出願再三却下せられたるも、遂に念願相叶い 明治15年11月11日許可をを得、明治17年10月その竣工をみたり。(古文書、角田三朗覚書等による)

野菜作りに挑戦して [野菜作り]

老夫婦なので、約8畝の畑の管理に四苦八苦しております。草退治だけなら楽しみがないので、妻と話し合って「植え付けから収穫」まで長い期間を要する作物を作ろうということになりました。しかし 苦労から逃れることは出来ません。でも 収穫した新鮮な野菜を、食べると美味しいので今までの苦労も忘れてしまいます。更に 旬の野菜を3人の娘達や関係者にお分けすると、喜んで下さるので生き甲斐を感じています。

4月から5月にかけて、農作業か一気に忙しくなります。お百姓さんの場合は、機械化しておりますので作業が能率的です。ところが 私どもは農具の鍬等で土を掘り起こすので、時間もかかり大変です。(1)里芋 (2)落花生 (3)ねぎ (4)なす・きゅうり等の順で植え付けます。

1、里芋は土の中に貯蔵しておいた、種芋を植え付けます。尺なわを張って作(さく=種芋を植える真直ぐの深い溝のこと)を切ります。その中に腐葉土や肥料を撒きます。次に種芋
  を等間隔に置いていき、鍬を使って厚めに土をかけます。里芋は乾燥を嫌い、水を欲しがる作物です。収穫時期は10月下旬頃で、霜には弱い作物です。

2、落花生は浅めに作を切り、4月から5月頃に種播きをします。豆類なので肥料をやりません。収穫は 葉の色が変化した頃、一株掘ってみて落花生の殻をむいてみると実の成熟度がよく分かります。この落花生は比較的作り易い作物です。注意したいことは、
葉が茂るまで畝(うね)と畝の間の草取りを丁寧にすることです。そして 落花生の天敵は「カラス」です。種を播いた処にカラスの嫌いなネットを張ることです。又 収穫の前もネットを張りましょう。面倒ですが安心して収穫出来ます。自分で作った落花生は
とても美味しく妻の大好物です。

3、ねぎは 前年の9月9日頃、種蒔きした苗が 5月下旬になると生長してきます。5月から6月に、作を深く切って本植えが出来るようにします。近所の篤農家に教えていただいたことを、今でも忠実に守って「ねぎ苗を垂直に」植えています。土用が過ぎるまで、肥料も土寄せもしません。その訳は、ねぎ特有の赤さびが出ることを予防するようです。その後適当な肥料を遣り、白い茎の伸び具合をみながら土寄せをしてやると白い処か長くなります。収穫時期は、私は11月下旬頃にしています。

4、なす・きゅうりは、5月中旬頃 園芸店から買ってきて植えます。4月頃は花冷えのため気温が低いので植栽しても生長しません。基肥を十分に遣りましょう。

挿し木育てて、心の安らぎを [大好きな趣味]

挿し木育てて、心の安らぎを
私の年間の仕事は、自坊の法務・宗務所主催事業や組寺院への行事参加等・境内の松4本の手入れなど多忙な毎日を過ごしております。( 境内の除草・落葉樹の剪定・畑の草取り等は、夫婦で力を合わせて作業を進めています。)

それでも 唯一の趣味である、盆栽の手入れ・挿し木作業は 春から梅雨時に時間を割いて無心になって頑張っています。この時間帯は 私にとっては、夢でもある「ささやかな緑化活動」に結び付ければ幸いであると思っております。又 私自身の「心の安らぎを覚えることが可能な時でもあります。

この営みは、教員仲間から手解きを受け30歳頃から今日まで続いています。大きな鉢を購入し、その中に鹿沼土を適量に入れ 水を十分に含ませておきます。次に挿し木にしたい、庭木の枝を切って(2~3年経過した処を穂にする)約長さ10cmくらいの穂を用意し水につけます。そして 鋭利な剪定鋏で、穂の根元を斜めに切って鹿沼土の中に差し込みます。そして予め用意した穂を同じ要領で差し込んでいきます。最後に水を十分にやって終了です。大切なことは、毎朝涼しいうちに愛情を込めて水遣りを忘れないことです。冬季でも時折水を遣りましょう。来春になって、それぞれの穂から新芽が出てくれたら大成功です。その時の感動は言葉には言い表せません。

根付いた穂から緑の葉が茂るようになっても、3年くらい鉢の中で水だけで育てます。その頃には根も十分に育っていることでしょう。私の場合は、幸いにも近くに畑があるので6月の梅雨時に移植して大きく育てます。やがて 適当な大きさになったら、植物愛好者に話しかけ、ニーズに合ったものを差し上げております。

最近は 花物の挿し木に興味を持ち、主に「1尺藤・つつじ類・紫陽花」を選んで挿し木を育ててきました。「1尺藤」は大きい鉢に植栽し、固形の油粕を適量に与えてやります。やがて 花の時期になると、お寺に来た人達が観賞してくださいます。又 希望者には、気持ちよく差し上げています。
今年は、蕾をつけた「紫陽花」10本を大き目な鉢に定植しました。これからもいろいろな紫陽花を、もっともっと増やしていき「鉢紫陽花寺」にしたいと願っています。

『住職さん、今日も頑張れよ。』・・・・・その2 [朝のおつとめ等]

 朝食後休憩をとり、午前8:30から約1時間くらい 本堂・妙見堂・神棚・お仏壇の順に
 法味(読経)、回向等を言上致します。 
 本堂では、『宗定 日蓮宗法要式 平成版』に則り、至心に朝のお勤めに専念致しております。
 読経については、日蓮宗山梨県第四部 二組寺院では 14年頃前から休む月を除き 毎月各寺院持ち回りの会場で、読誦会(どくじゅえ=声を出して、お経を読み合う会)を実施してきました。そして 平成21年から、「妙法蓮華経」1部8巻28品、文字数にして 69、384字を、分割して読んでいます。
 そこで 私も仲間と一緒に読めるように、毎朝 本堂、妙見堂で一部経がすらすら読めるように一生懸命修行をしています。
 
 私の寺の檀家さんは、大半が農業で生計を立てております。もろこし・桃・スイカ・お米・結球等が収穫出来たので、「仏さまに上げて下さい」、「三宝さまにお供えしてください」と言う奇特な檀家さんがいまして 新鮮な野菜や果物を届けてくださいます。衷心よりお礼を申し上げ、御宝前にお供え致します。そして 翌朝のお勤め際、施主家先祖代々之精霊のご回向を申し上げております。

 上記の檀家さんのご挨拶にあった、「三宝」について 「日蓮宗事典」をひもといてみました。「三宝」とは 3つの宝の意味。さとりを開いた「仏」と、その教えの「法」と、その教えを受けて修行する「僧」の3つを宝に譬えた語。三宝は仏教を構成する根本の要素で、三宝に帰依することが仏教徒としての基本条件である。日蓮宗においては久遠実成の釈尊を仏宝。法華経を法宝。(日蓮)聖人と異体同心の修行僧を僧宝と仰ぐ。と解説されています。

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